今週のBS 《 第37話 熱き誓いの夜に 》
オスカルさん、ひたすらアンドレを想う回
・・・だったと思います今回は
「私とて死にたくはありません。しかし、何れその日がくるならば
それまで精一杯に生きたいのです。自由に。そしてあるがままの心で」
アニメ版は、はっきり結核設定。
感染していても必ず発症するとは限らず、潜伏期間も
最短数ヶ月から、数十年(!?)という事らしいのですが
※詳しくはこちらで→(財) 結核予防会
オスカルさんも、無理して体力(免疫力)落としていなければ
発病せずに済んだのでしょうか・・・にしても芯の強いお人じゃ
蛇足:実は私も子供の頃、強陽性反応がでたのですが
現在に至るまで一度も発症しませんでした。今は抗体もちかも。
「アンドレ・グランディエが失明するのは、時間の問題です」
自分の事に関しては踏ん張れる人も、不意打ちのように聞かされた
失明問題については、頭を抱えて名を呟く事しか出来ませんでした。
なぜ気付けなかったのか苦しんだだろうなー・・・
お互いが周囲に気取られぬよう、それぞれ病を秘密にしていたのは
そうしないと、自分が自分らしく生きられる場所を失ってしまうから。
アンドレは大切なオスカルの傍らにいる事が二度と出来なくなり
オスカルは退役、本人からすれば軟禁状態のような?療養という事に。
原作では、アンドレとの別れの直前まで察知できませんでしたが
アニメでは、このように予め状態を知る事になり…。
これって、どちらが幸いなのかしら。知ってしまう事、知らずにいる事。
「わからない。ひょっとして、宿舎に泊まるかもしれない」
ばあやに予定を訊ねられたオスカルさん。
アンドレの状態を知ってしまった事で、どう対処しようか
迷っている気配があります。
どのように確かめられる?
本当に視力低下が進行していたら、その時は?
結局、肖像画仕上の為に、帰宅を約束して出勤。
兵舎でアンドレの様子を伺う(泊まり込む)事ができなくなったのと
ダグー大佐に自宅待機を促されたので、館へ連れ帰る方向に計ります。
「隊長」「うん…?」
「御顔の色が優れません。だいぶお疲れのようですね」
ここでダグー大佐、存在感五割増しに!
今までは添え物的副官さんでしたが、この場面で
ぐぐっと個性が前面にでてきました。すっごく人間くさい
彼女は、わりと部下(副官)には恵まれていますね。近衛でもネ。
この37話、オスカルさんは今迄よりも俯きがち&伏し目がち。
アンドレの事を思い悩むのが半分 もう半分は体調の悪さから。
本人が隠すなら、それにはそれなりの訳があるのかもしれない…と
黙って見守っていたのかもしれませんが、事ここに至り
大佐も、見過ごせなくなってきたんでしょうか。いいお人じゃ…
今まで黙っていてくれた気持ちにも、オスカルさん説得されてる御様子。
ここのですね、ダグー大佐の呼びかけに「ん?」と何気に応える
オスカルさんの声音も好きでした。
ダグー大佐との、それまでの関係性が窺えますでしょ。
田島さん、自然体の演技が冴えてるところ
いわゆる芝居掛かった ”作った声” ではありませんでしょ?ね?ね?
ベルばらアニメ、成功の要因のひとつは(今更ですけど)
田島さん&志垣さんが「キャラ」ではなく「ひとりの人間」を演じた事だと思うのです。
すご~く自然体のお芝居。それが作品をオートクチュール化したのではないかと。
これ、もちろん普通に職業声優さんがやっていたとしても成功しているでしょうが
もっと既製服的仕上がりになったんじゃないかなー?と勝手に思っています。
どちらが良い悪いというものではないのですが、人間ドラマを深く表現するなら
わりと演技パターン(雰囲気)の定まった既製服にするよりは
オートクチュールを試す方が、ハマった時に大化けすると思うんですよね
つづく
オスカルさん、ひたすらアンドレを想う回
・・・だったと思います今回は
「私とて死にたくはありません。しかし、何れその日がくるならば
それまで精一杯に生きたいのです。自由に。そしてあるがままの心で」
アニメ版は、はっきり結核設定。
感染していても必ず発症するとは限らず、潜伏期間も
最短数ヶ月から、数十年(!?)という事らしいのですが
※詳しくはこちらで→(財) 結核予防会
オスカルさんも、無理して体力(免疫力)落としていなければ
発病せずに済んだのでしょうか・・・にしても芯の強いお人じゃ
蛇足:実は私も子供の頃、強陽性反応がでたのですが
現在に至るまで一度も発症しませんでした。今は抗体もちかも。
「アンドレ・グランディエが失明するのは、時間の問題です」
自分の事に関しては踏ん張れる人も、不意打ちのように聞かされた
失明問題については、頭を抱えて名を呟く事しか出来ませんでした。
なぜ気付けなかったのか苦しんだだろうなー・・・
お互いが周囲に気取られぬよう、それぞれ病を秘密にしていたのは
そうしないと、自分が自分らしく生きられる場所を失ってしまうから。
アンドレは大切なオスカルの傍らにいる事が二度と出来なくなり
オスカルは退役、本人からすれば軟禁状態のような?療養という事に。
原作では、アンドレとの別れの直前まで察知できませんでしたが
アニメでは、このように予め状態を知る事になり…。
これって、どちらが幸いなのかしら。知ってしまう事、知らずにいる事。
「わからない。ひょっとして、宿舎に泊まるかもしれない」
ばあやに予定を訊ねられたオスカルさん。
アンドレの状態を知ってしまった事で、どう対処しようか
迷っている気配があります。
どのように確かめられる?
本当に視力低下が進行していたら、その時は?
結局、肖像画仕上の為に、帰宅を約束して出勤。
兵舎でアンドレの様子を伺う(泊まり込む)事ができなくなったのと
ダグー大佐に自宅待機を促されたので、館へ連れ帰る方向に計ります。
「隊長」「うん…?」
「御顔の色が優れません。だいぶお疲れのようですね」
ここでダグー大佐、存在感五割増しに!
今までは添え物的副官さんでしたが、この場面で
ぐぐっと個性が前面にでてきました。すっごく人間くさい
彼女は、わりと部下(副官)には恵まれていますね。近衛でもネ。
この37話、オスカルさんは今迄よりも俯きがち&伏し目がち。
アンドレの事を思い悩むのが半分 もう半分は体調の悪さから。
本人が隠すなら、それにはそれなりの訳があるのかもしれない…と
黙って見守っていたのかもしれませんが、事ここに至り
大佐も、見過ごせなくなってきたんでしょうか。いいお人じゃ…
今まで黙っていてくれた気持ちにも、オスカルさん説得されてる御様子。
ここのですね、ダグー大佐の呼びかけに「ん?」と何気に応える
オスカルさんの声音も好きでした。
ダグー大佐との、それまでの関係性が窺えますでしょ。
田島さん、自然体の演技が冴えてるところ
いわゆる芝居掛かった ”作った声” ではありませんでしょ?ね?ね?
ベルばらアニメ、成功の要因のひとつは(今更ですけど)
田島さん&志垣さんが「キャラ」ではなく「ひとりの人間」を演じた事だと思うのです。
すご~く自然体のお芝居。それが作品をオートクチュール化したのではないかと。
これ、もちろん普通に職業声優さんがやっていたとしても成功しているでしょうが
もっと既製服的仕上がりになったんじゃないかなー?と勝手に思っています。
どちらが良い悪いというものではないのですが、人間ドラマを深く表現するなら
わりと演技パターン(雰囲気)の定まった既製服にするよりは
オートクチュールを試す方が、ハマった時に大化けすると思うんですよね
つづく