


「難問…」と珍しく苦戦していた材質当て。
パリの地下(地層)に広がる石灰岩は独特で、日本の岩石とは違うため
いつものような見た目では判別できなかったタモリさん



日本とは真逆の性質のパリの石灰岩は"粗い石灰岩"と呼ばれ
柔らかく加工しやすいため、地下から楽に掘り出す事ができたそうです。
建物の装飾や石像を作るための細工が容易なので、古来より重宝されノートルダム大聖堂などはパリの真下、半径5km以内から
掘り出された石材で建設されたのだとか。
今回の番組、早送りされていた部分も、ゆっくり眺めてみたかったですわ~。
せっかく普段は入れない場所に入れたのですから。ねぇねぇ。
というのも以前、海外製ですが同NHKでパリの地下をテーマにした
番組を見た事があり、これが面白かったのデス↓


ブラタモリでは天井の低めの狭い部分しか映し出されていませんでしたが
この地下採石場、6mの高さまで掘られた場所もあるのだとか。
こちらの番組を見るまで、こんな大きな規模だとは想像が及びませんでした~。
現在通っている地下鉄よりも更に下、深い地層に広がる採石場。
おまけに、それが二層構造になっていたとは、びっくり世界ですヨ 


採掘の始まりは古代ローマの頃からのんびりと。
(この頃の砕石で作られた浴場などの遺構が現存)
中世から一気に需要は拡大し、掘り尽くした後は出入口を塞いで終了。
地図も記録も残っていない状態で、歳月の流れと共に、人々の記憶からもこの空間の存在が忘れ去られた頃、パリ市内で突然
陥没事件がおこりました。

それが1774年のこと。
オスカルさんは近衛時代。たぶん19歳。
とか言っちゃうと、ほ~ら、何だか妙に身近に感じてきません?
<わたしだけ?

この年、人々が行き交う大通りに突然25mの大穴が出現する事件が発生し
その後も陥没事件が続発。
ルイ16世により採石場監督局が設置され、地下採石場の調査対策作業が開始されます。
本来空間を安全に支えるはずの支柱が基準よりも細く、老朽化も進んでいたため
支柱を増設。必要に応じてその間を次々に埋めていったそうです。
この時、地上の街路に合わせ、その真下(地下)に、そっくり同じ地下通路を整備。
全長はおよそ100kmにもなったとか。

いつの世も良からぬことを思いつく人間はいるようで、この地下通路も悪事に拝借。
当時、塩・香辛料・酒など、パリへ持ち込まれる商品には全て税金がかけられていたので
脱税するための密輸ルートとして利用されるようになったそです(苦笑)
じゃあオスカルさん取り締まりに行かなくちゃ♪とか反射的に想像しちゃいましたが
その辺は近衛の仕事じゃありませんわね。パリの治安は業務範囲外。
あ、そ~だ。黒騎士が隠れ家に利用するという手がありますねぇ。むふふふ

因みに、有名なカタコンベは、この採石場跡の空間を利用したのだとか。
イノサン墓地などに溢れかえっていた遺骨を、まとめて移動させた結果がアレ…





この番組、も一回見たいんですよね~面白かったですもん。
オペラ座地下も取り上げていたようですが、最初の方は見逃してしまい
終わり10分程度しか録画出来なかったものですから…。
いつかは再放送してくれるんじゃないかな?と期待しています。