
ギュンター・リアー + オリヴィエ・ファイ著 東洋書林

パリ地下に広がる石灰岩採石場についての御本です。
前半は古い時代からの採石場の変遷(歴史)が書かれていて映像(番組)で見るよりも詳しい事が判り、興味ある方にはオススメ本

本書後半は下水道や地下鉄メトロについても。
地下は石と沈黙の世界である。
声は反響せず、まるで闇に呑み込まれるような感じだ。
石灰岩は、保護膜のように人を包みこみ、ひそやかな雰囲気を醸し出す。
~略~
通路は無臭である。あえていうならば石のにおいがするだけだ。
だが、それはとりたてて気にはならないものだ。下水の悪臭などはいっさいない。
私たちは下水道よりも下の、六階建ての建物をふたつ重ねた程度の
さらに深いところを歩いている。
著者さんは地下愛好家(カタフィル)の人をガイドに、採石場を探索 ♪
実は条例で禁止されているので、許可なく入ると罰金ちゃん
おひょ~
それでもマンホール等を利用して、こっそり侵入する人が後を絶たないみたいです。

さて、昔々のパリの悪臭は有名ですが、下水の不備による日常的なものよりも
モンフォーコン(古くは処刑場→廃馬&廃棄物処分場)と、市内各所にあった
満杯状態の墓地が、より大きな悪臭の発生源でありました。
数百年前からイノサン墓地では、屍体を何重にも重ねて埋葬するようになっていた。
メルシエは「ここの土は、亡骸を土に返すまでの時間を与えられていない」と嘆いている。
特にパリ最大のイノサン墓地は限界状態
だったようで、積み重なった屍体の圧に

耐えかねたのか、隣接する中央市場の商店(地下室)に、土砂&屍が雪崩込む事件が発生。
それをきっかけに埋葬の禁止と累々たる遺骨の撤去が決められ、遺骨の移動先として
利用されたのが、地下採石場跡地だったというおはなしです。=現在のカタコンベ

不気味な骸骨の山にひかれて、カタコンブを訪れる野次馬も早くから登場する。
最初に訪れたのは、宮廷の貴族たちであった。
アルトワ伯などは若い貴婦人を数人連れて地下を訪れた、という。
~略~
ポリニャック伯爵夫人もギシュ伯爵夫人も地下をのぞきにやってきた。
---「まあ、なんと恐ろしいところでしょう」
お貴族さま方々ってば暇人ですねー。スリルと刺激を求めて地下へ来訪。
革命が勃発すると、ここはいろいろな疑惑や噂の種にもなったようです。
愛国者たちが、国王一家はここに逃げたに違いないと、とモンスリ地区の坑道に侵入し
怒り狂いながら探し回っている頃、ルイ16世はとっくにヴァレンヌの近くにいた
ということで
自分たちの住む真下に、謎な空間が広がっていたら、そうも考えたくなりますわネ。
実際マラーはこの地下世界へ逃げ込んだようなので、緊急避難先やら隠れ家が
パリの足元いたる所にあったようなものでしょうか 



採石場には古い落書きや、指標として刻まれた文字が今も残されている中
あるはずの王家の百合紋は、革命時、多くが削り取られてしまったのだとか。
墓地の遺骨を移動させただけでなく、革命期におきた虐殺や暴動での死者はこちらで処分したらしく…ロベスピエールの遺骨もこの地下空間にあるようです。
作曲家のリュリも、ポンパドール夫人も、モンテスキューも、ミラボーも
みんなそこらへんのどこかに散らばっているのだ。
サン・バルテルミの虐殺の犠牲者二千人も、グレーヴ広場で絞首刑になった人々も
みなここにいる。だが、ここでは、もう誰が誰だかわからない。
貴賤の区別なく、単なる"物"のようにザクザクと運び込まれた結果が骨の山。
百人千人どころの単位ではありませんから、もう調べようもありませんね。
豪快(というか雑?)なのか国民性とこの時代を表してい…もにょもにょ 

まぁこの大らかなところが、今でも中世の遺構が突然市中に現れるような
環境にもつながっているので、良し悪し良しというトコロかしらん。
因みにカタコンベ内で、頭がい骨や大腿骨などの大きめな骨が綺麗に
組み上げられたのは、革命後、世の中が落ち着いてからの事のようです。
一見整然としていますが、その裏(内)側に細かい骨が放り込まれているのだそう。
この地下採石場、現在は崩落・陥没による災害を防ぐため、がらんと空いた空間に
コンクリートを注入して、埋め固める作業を進めているそうです。
全てに対処するには相当な時間も必要でしょう。どこまでやるのかな?
地下の全体像は未だ把握できてないので、本当、長期戦の事業になりますね~
