「妃殿下は ただいま ここで
 妃殿下に恋している 20万の人々を ごらんになっているのでございます」
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史実で同様の語りかけをしたのはブリサック公爵
ジャン=ポール・ティモレオン・ド・コッセ。
時に70歳。さすがおフランスな言い回し


本書「ヴェルサイユ宮殿 影の主役たち」の中には
デュ・バリー夫人の章もありました。

ルイ15世の逝去後、彼の寵姫だったデュ・バリー夫人は宮廷を追放され、
厳格な修道院で一時期を過ごしたのち、恩赦が下りて、
ヴェルサイユ近郊のルーヴシエンヌ城に住むことが許された。
ルイ16世はあえてこの城を没収せず、彼女のためにとっておいたのだ。

恩赦後の出来事中に、先ほどのブリサック公爵の名前がちらほら散見…
デュ・バリー夫人の愛人として。
あれ?もう結構なおじーちゃんでは… と思ったら
「妃殿下に恋」云々と言っていた公爵は、首飾り事件が起こる前年に
亡くなっており、愛人というのは”公爵”位を継いだ人物の事のよう。

公爵に助言されたのか革命勃発後、城の警備を強化しましたが
デュ・バリー夫人が不在だったある夜、所有していた宝石の
大半を盗まれるという事件がおこりました。
直ぐに、宝石はイギリスで見つかり、容疑者(関係者)も逮捕。

捜査は長引いた。当時は犯人引き渡しの制度はなく、イギリスと
フランスの司法機関は相互に連絡を取り合うこともなかった。
イギリス側は、発見された宝石が彼女の所有物であること、
盗まれたものに該当することを証明するよう要求し、
宝石の返還を求めるデュ・バリー夫人の主張は通らなかった。
~略~
1792年9月9日に愛人ブリサック公爵がヴェルサイユで暴徒に襲われ
虐殺されると、その後次々と不幸が彼女を襲った。
宝石を取り戻そうと何度かイギリスへ渡ったことが仇になり、
亡命貴族たちの一味として、彼らに書類や現金を渡した疑いで
起訴されたのだ。


この本での書かれようだと、デュ・バリー夫人は亡命することなく
フランスを地盤に暮らしていたように見えますネ。
この宝石盗難事件に関して新聞(パンフ)に書き立てられ
世間の注意をひいた事が、後によくない影響を与えた印象も受けます。
最終的には翌93年9月逮捕され二ヶ月後、死刑判決を受け即処刑 ひど…


歴史書ではなく読み物として書かれたこの御本。
他には当時の暮らしのありようも垣間見え、面白かったです。
ベルサイユでの防火・消防設備についても紹介されていましたが
私的には宮殿脇に雑多なお店がたくさんあったという事が
一番の目からウロコでした。


王やごく高位の貴族はともかく、自分専用に水回り設備を持たないような
下仕えの人々などは、毎日をどのように暮らしていたのか?
用がある度、ベルサイユの街へ出掛けるのは大変だし…と思っていたら
既に14世の時代には、常に宮廷に付き従い、物品販売やサービスを商う
特権を持った人々が存在していました。

古くは、戦場へ向かう王に従わねばならないリスクもありましたが
16世の時代、宮廷がすっかりベルサイユ宮殿に落ち着いた頃には
宮殿の至る所に小さな建物が立ち並んでいたようです。
今では想像出来ませんわ~華麗な宮殿脇に木造小屋がいっぱい?

薪屋さん、清涼飲料水屋さん、アイロンかけ屋さん…etc
必要なものを買う事も、サービスを受ける事も、街へ出掛けなくとも
宮殿の敷地内で間に合わせる事が出来たそう。これは便利~~。
ベルばら(漫画)では、宮殿に控えの部屋を持っていたオスカルさま。
傍らで世話を焼くアンドレさんも、利用したかもしれませんねぇ