葬送儀礼と装いの比較文化史  東京堂出版 

世界各地を対象とした個別の執筆者による論稿集。
から「第三節ヨーロッパの葬送儀礼と装い」部分だけメモメモ
(ヨーロッパとあるけどフランス中心)


筆者(内村理奈先生)が研究の史料としてきたものに
当時の礼儀作法書があるが、17-18世紀の作法書には
喪服に関するエチケットの記載がなかった。
代って「服喪期間通知(通称)」という年鑑に喪服規範が記されていた。

『宮廷の喪服に関する年次通知書』
宮廷における喪服のしきたりやエチケット
発行年の前年における著名人や(欧州各地の)王族の死亡通知を記載

礼儀作法書は王政を支えたものとみなされ革命を境に一度断絶するが、
19世紀の王政復古で再度礼儀作法書ブームが起こり
こちらには女性用の喪服規範が記されている。

王族の場合、ヨーロッパ各地に親族がおよび姻族がいるため
喪に服する期間は頻繁に生じていた。
当然、外交上のエチケットとして、喪服のエチケットは重視されたはずである。
~略~
いっぽうで、長期にわたる服喪期間によって、経済活動の低迷や、
喪服自体に贅を尽くすなどの事態が起きていたと言われている。
(1760年頃の規定)
王に対する服喪および宮廷での大服喪 6ヶ月
父母 6ヶ月
夫 1年と6週間
妻 6ヶ月
ラ・ド・サン・モールとは、1677年にパリ郊外の
サン・モール・デ・フォッセで作られ始めた黒いサージのことである。
喪服用に作られた布で、特に寡婦の喪服用として、19世紀に至るまで用いられていた。

大喪服は第一に毛織物の時期、次に絹(黒石アクセサリーの時期)
第三に小喪服(ダイヤモンドが許されることもある)という三期で構成されていた。
小喪服は、さらに、はじめに黒の時期、次に白の時期という二期に分かれていた。
1766年の年間における喪服において、もっとも深い弔意を表すのは、毛織物であり、
それから絹、黒、白(白黒または灰)という順で、次第に軽いものへと
移っていったと思われる。
~略~
喪服の規定を見る限り、アンシャン・レジーム期においては、
むしろ素材、つまり毛織物か絹織物かどうかが、色よりも先に
考慮されるべきことがらであった。



馬車や部屋までモノトーンにしなくてはならない決まりもあって細かいナ。
衣装の細々した描写もあったけど、わからない名称もあり
私のおつむでは掴みきれなくて、ちょっと生煮え

一方、素材感は…?具体的な質感が想像で追いつかないので
これは油絵、肖像画の方がもしかしたら判り易いかもしれませぬ。
フランス版で誰かあるかな~?今度探してみよ~



bl
本書にはなかったけど、これ喪服?
規定内に納まってるデザインにみえるけど…どうかしら。
bla