革命勃発とともに、あっという間に解体され
消えてしまったバスティーユのその後。

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1899年
地下鉄1号線の工事中に土台を発見

慎重に解体され、1925年に造られた公園
ポン・ド・サリーの端にあるアンリ・ガッリ広場に再建。
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その後、1905年
パリ地下鉄5号線バスティーユ駅建設中に遺構発見
現在、ボビニー方面ホームにその面壁の名残が展示され
駅の床には、溝の外側斜面の平面図に沿った線が描かれている。


以上Paris la douce Magazine からでした。
土台の土台…基礎?は移築後も土中なのかしら…なぞ?


詳しくは↓
https://www.parisladouce.com/2018/08/paris-vestiges-de-la-bastille-maigres.html