7月14日の流れ

朝、バスティーユに群衆が詰めかけていた。武器弾薬の要求。

界隈の住人から選挙人会へ”バスティーユが戦争の準備をしていて
危ない”と報告が入る。
塔の上の大砲は、防衛というよりも攻撃的な意味が強いと考えられ
選挙人会は代表を送り出し、10時にはバスティーユに着いた。

ド・ローネー司令官は彼らを昼食に招き、食事をしながらの会話で
民衆の安全を保障し、大砲を引っ込め銃眼を塞ぐことを約束。
(当時フランスの昼食は10時半頃~)

正午、大砲が引っ込むのが見えたが、何も知らされていない人々には
弾薬充填のためと思われ、中にいる使者は人質に取られたのでは?と
不安がつのった。

続々と増えた群衆が押され、跳ね橋に近づく。
「下がれ!」と塔の上から傷痍軍人が帽子を大きく振り叫ぶのを
「入れ」と群衆はうけとり、数人の男達が斧で跳ね橋の鎖を壊し
そこへ群衆が殺到。これに対し発砲あり。
(誰が発砲?命令した?はっきりしない)

「司令官が跳ね橋を下げさせ群衆を招き寄せ、引きつけておいて
撃った」という民衆側の仮説(誤解)も発生。

司令官は次第に追い詰められ、一種の脅迫状を書く。
「我々は二万リーヴルほどの火薬を持っている。
降伏を認めてくれなければ守備隊もろとも付近全部を吹き飛ばす」

すでに多くの死者をだしている群衆は承知せず攻撃再開。
大砲を跳ね橋に発射しようとしたとき、要塞入口の跳ね橋が落ちた。
これは無条件降伏を意味していたが、全員に理解されたわけではない。
群衆は突入。外にいて動きがわからない包囲軍は発砲し続けた。

その後、司令官は捕まりバスティーユ陥落。
囚人は解放され火薬は一部持ち出されたが、あとは兵器庫に戻された。
ユランに保護されながら移動、市役所に着いた司令官は
失業中だった料理人に、そこで殺害された。

  バスティーユ占領 ジャック・ゴデショ著 白水社

バスティーユ占領当日の流れだけでも、群衆の誤解曲解がみえますが
ここへ至るまでの出来事にも、ありもしない陰謀説とか
勝手な思い込みなどが、うようよありました。
時代も時代だし、正確な情報の伝達は難しいな~。
そこに感情が加わるから尚更。怒りはことさら視野を狭くしますネ…

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サンテールビール工場の車二台に藁をいっぱい積んで火をつけた。
ドフリュー中尉はこのおかげで部下は何も見えなくなったと記している。

オスカルさんがやっちゃえ!と指示してた煙幕作戦。
史実でも実際にやってたようです。
この辺の流れ、テンポいいんですよね~。
池田先生の史実とフィクションのブレンド具合、絶妙では



13:30 群衆に向け発砲

15:30 ユラン指揮の一部隊、攻撃に参加

17:00 バスティーユ陥落

18:00 司令官虐殺
    同刻、王は軍隊に対しパリからの撤退を命令した