フランスの国立公文書館で、王妃アントワネット関連の
史料が保存・公開されていました。
こんな簡単にみられたなんて知らにゃんだ~便利にゃ~♪
日本も公共機関でのウェブ・アーカイブやデジタルギャラリーは
そこそこあるけど足元にも及ばないレベルの充実ぶり。
フランスは体制も見せ方も、全てにおいて御見事



国立公文書館 https://www.archives-nationales.culture.gouv.fr/

内容紹介の訳
コールナンバー440APは、1980年代以降に国立公文書館が取得した
王妃アントワネットに関する私文書を収容するために作成されました。
フェルセン文書、カンパン文書、ポリニャック文書です。

番号順は以下の通り。
440AP/1 王妃アンワネットとフェルセン伯爵の秘密書簡。1770-1804.
- アントワネットがフェルセンに送った書簡。1791-1792.
- アントワネットから姉のスペイン女王、母のマリー=テレーズ皇后、
 兄のヨーゼフ2世とレオポルド2世、ロシアのエカテリーナ2世、
 オーストリア大使カウニッツ公、ポリニャック公爵夫人、
 ショワズール公爵への書簡。
 スウェーデンのグスタフ3世からアントワネットへの手紙
 フリードリッヒ・フェルセン元帥から息子アクセルへの手紙。1770-1793.
- フェルゼンがアントワネットに送った手紙と覚書。1788-1793.
- 王室とヴァレンヌへの旅に関する書簡と文書。1791-1804.

440AP/2. ムッシュとマダム・カンパンの書類。1784-1788.
440AP/3. フェルゼンからダルムフェルト男爵への書簡。1793.
440AP/4. アントワネットからの他の書簡。1787-1791.
- アントワネットからポリニャック公爵夫人への書簡。1789-1790.
- アントワネットからの偽の手紙 1787-1791.

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web翻訳を利用して整えてるので、大枠こんな感じ…レベルと
思ってください(紹介文全体ではなく内容も抜き出した一部デス)


1792年2月の最後の面会の際、王妃はフェルセンにいくつかの書簡を渡し
フェルセンの死後、これらの文書は子孫であるピペル家と
クリンコフストロム家に渡り、レフスタ(バルナーヴとの書簡)と
スタフスンド(フェルセン文書)に保存された。
この家族文書館には、フェルセンがアントワネットから受け取った手紙や、
フェルセンがアントワネットに送った手紙の議事録も保管されていた。

フェルセンの子孫が所有していたアントワネットとフェルセンの書簡は、
1982年に売りに出され、国立公文書館が購入した(440AP/1)

フェルセンの大甥であるルドルフ・クリンコフストロム男爵によって、
『Le comte de Fersen et la cour de France, Paris, 1877-1878, 2 vols. 』として
出版されることになった。
後者はここに保存されている4通を除いて、アントワネットからフェルセンへの
自筆書簡を破棄したものである(440AP/1、フォルダ1)

440AP/4と記載されている書類は、2005年にポリニャック公爵から購入したものである。




この通信が秘密と言われるのは、革命家の監視のもと、信頼できる人物の仲介で
帽子の裏地に縫い込まれたメモ、麻布の束に入れられたメモ、手袋、本、
新聞などによって、隠密に行われたからである。
マリー・アントワネットは、レモン汁と特殊インクを使って文字を隠し、
(ろうそくの光で紙を温めて文字を浮かび上がらせる)暗号も使っていた。

王室一家がタンプルに幽閉された後(1792年8月10日)アントワネットは
外部との連絡を絶ったが、ジャルジャイユ将軍にいくつかのメモを送ることはできた。
1793年処刑当日の朝、10月16日に義姉エリザベートに最後の手紙を送っている。

1791年6月28日から1792年8月10日の間に、アントワネットが
フェルセンに送った23通の手紙のうち、自筆は4通のみで、
他はフェルセンかその秘書、あるいは19世紀にフェルセンの孫甥の
クリンコフストロム男爵が作ったコピーであった。
この23通のうち、7通は一部または全部が暗号化されている。

そのため、アントワネットの手による原本、フェルセンの複製、
クリンコフストレム男爵の複製など、
同じ手紙に複数のバージョンが存在することがある。
説明では自筆本・フェルセン本・クリンコフストレム本と表記している。

フェルゼンからマリー・アントワネットへの手紙は、暗号化して発送するために
時には行間スペースに鍵が書かれていることもある。




フランス語が出来ない自分には、資料を判別するのもやっかいでしたが
例えば、検索窓に” Marie-Antoinette ”と入れると関連コンテンツが表示され①
上から3つめが、処刑前に書いた最期の手紙を紹介している頁②でした。
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ここでは紹介文中の小画像をクリックすると③手紙本体が表示される形

『1793年10月16日午前4時、コンシェルジュリーの独房で
30分前に革命裁判所で死刑を宣告されたばかりの女性が次の言葉を書いた。
「私が最後に書くのは、妹であるあなたへの手紙です」
私は今、犯罪者にしかできない恥ずべき死ではなく、あなたの兄弟のもとに
行くことを宣告されたのです…』