2019年08月

TVニュースなどで放送があれば、綺麗だな~と
眺めていたコスプレイベント。

今年、8月始めに開催されていた世界コスプレサミットに
海外から、ベルばらさんチームが出場してました。

1908ワールド

スウェーデン代表の、オスカル&アンドレのなりきりさん。
金髪&黒髪は鬘のようですネ。
どちらかといえば、アンドレさんの衣装の方が再現度高いかしら?
オスカルさんの方も色こそ赤ですが、剣帯もあり抜刀可。
剣を交わせるよう造り込まれてありました。自作って凄いな~。


東京予選では、ファッションショー式に短時間の登場。
名古屋予選は、パフォーマンスしなくちゃいけないようで
革命前夜~バスティーユ場面を熱演

公式サイトにある映像では、芝居で語っているセリフ(英語)に
和訳がついていたけれど、なんだかベルばらを知らない人が
さくっと訳したかんじ…ぽいぽいですよ


公式サイトから
https://www.worldcosplaysummit.jp/championship2019
名古屋予選=グループ3のトップで登場(2h25m頃)

1908ワールド2

世界各国から40組集まった代表の中から、予選を突破し
バラさんペアは、見事ファイナル出場となりました。

予選パフォーマンス終了後、舞台上でベルばらについて尋ねられた際には
「昔から好き。ロマンスあり歴史的膨らみもありで感動する」とコメントも。

ベルばら好きで、遥々スウェーデンから来てくれたとは熱烈歓迎
同じくファンとして嬉しいですわ~






 首飾り事件 つづき 


刑の執行は用意周到に行われた。
なぜなら、受刑者の叫び声、抗議、怒りを恐れたからである。
朝の六時、人のあまりいない時刻が選ばれた。
〔市庁舎前の〕グレーヴ広場などもってのほかだった。
すべては〔シテ島の〕裁判所の鉄柵で囲われた中庭でおこなわれた。

焼き鏝をおされ、髪を切られたヴァロア(ジャンヌ)が連れて行かれたのは
サンペトリエールの施設。
ルイ14世時代に救貧院となり、そこへ監獄(主に娼婦用)が併設された場所。
現在は総合医療センターが在り、ダイアナ妃が事故の結果、亡くなったのも
この施設だったようで、時代が変われば変わるものですね


とんでもなく劣悪で悲惨な環境下の場所でしたが、入ってきたヴァロアが
王妃の犠牲者だと、あらかじめ受刑者達が知っていたことや
院長や修道女も、彼女に関心をもって接してくれたことで、最悪な状態には
陥らずにすんだようです。
けれどヴァロア自身はここでの生活を、外に出てから語ることはなかったとか。

この施設にいたのは1年くらい…かな?
直接か間接的にかは判らないけど、修道女に助けられて脱獄。
生まれ故郷に向かい、石切り場の奥底に潜みます。
ここで助け手を差し伸べたのがブニュー氏の母親。
※ブニュー氏=ロアン枢機卿に世話になる前にパリで親しかった弁護士
ヴァロアが貧しい人のために残していた資金がこの女性の手元にあり
それを届けてくれたというお話。(ブニュー氏の『回想録』)

このお金のおかげでイギリスへ渡り、逃れる事が出来たけれど
暮らしは大変だったようで、逆にその貧しさこそが、首飾りを持っていない
売り払った代金も持っていない、どこにも巨万の富を預けていなかった、という
それらの証明になっている。と、みられていました。

そして登場するのが『回想録』。

ロンドンには、いつの時代でも、パンフレットや誹謗文書の出版社があり
好奇心旺盛な公衆と、出版を恐れてそれをつぶそうとする宮廷の両方から
支払いを受けていたので、とても儲かっていた。
~略~
この回想録は増補されて本当の書物、八折の二巻からなる作者の自伝
(「ラモット伯爵夫人の生涯」)となる。
国王と王妃にとっては新たなる心配の種である。なんとも軽率というべきだが
この本を差し止めるために派遣される人物は、最も人目を引くポリニャック夫人である。
出版物は全部買い取られる。それはロンドンで焼かれる…。ただし一部だけを除いて。
それは大臣の一人の手に収まり、国民公会が再出版した。

ポリニャク夫人が…って、ホントかしら ?
一部だけ残ったとか、ちょっと出来過ぎ感あるある!な気もしますが(笑)
パリで出回った自伝書の中には、より本がたくさん売れるように、馬鹿げた作り話や
非常識な空想・中傷が勝手に入っているものもあったようで、ヴァロア自身が
「それは自分が書いたものではない」と抗議した事も・・・まぁ無駄だったようです。

首飾り事件の裁判以来、イギリスへ逃亡していた夫も何度も殺されそうになったり
ジャンヌ自身も幾度も自殺を考えていたそう。


彼女の夫も、やはり回想録を書いていて、それによれば、オルレアン派が
彼女を拉致して〔フランス革命下の〕パリに連れ戻し、議会で証言させようとしていた。
そんなことをすれば、彼女は王党派に刺殺されるかもしれないのだ。
オルレアン派がもしそうした考えをもっていたとするなら、王党派もまた、それを防止し
拉致される前に彼女をひそかに殺してしまおうと考えても不思議ではなかった。
彼女は二つの危険のあいだにはさまれていた。

イギリスへ渡ってからも、平穏な安息は得られなかったようで
夫がフランスへ渡り留守だったある晩、3-4人のならず者が住まいに入りこみ
怯えた彼女が、最終的にはバルコニーから転落し、三週間後死亡…と
夫の回想録にあるそうです。享年35歳 合掌…

CIMG9971


こちらの御本『ミシュレのフランス史』には、当時の回想録のタイトルが
ちょいちょい散見されて、なかなかに興味を惹かれるのですが
今でも、フランスには史料として保存されてあるのかしら。。

生前のジャンヌと親交があり、記録を残したブニュー氏が亡くなったのは
1835年(享年74)のこと。この時、フランス史著者のミシュレ氏は37歳。
すご~く近かったんだなぁと思っちゃうんですよね~。
伊藤博文が振り返って、戊辰戦争を記録しなおしてるような近さですよ。
その中から、土方歳三の部分だけ拾い読みして喜んでるのがわたし。
え?伊藤さんそんなことしない?たとえが変







 1 ミシュレのフランス史  




 ヴァロア家の末裔ジャンヌ つづき 


たしかに200万フランのダイヤの首飾りは破格の贅沢品ではあったが、
同じ年(1785年)に王妃がパリ近郊のサン・クルーの城をオルレアン公から
買い取るために支払った1500万フランにくらべるなら、微々たる支出にすぎない。
だがそこにロアン枢機卿という野心家、ヴァロア王家の末裔と称する
ジャンヌ・ラモットという女、さらにはオカルト治療師カリオストロが介在することで、
事件は王政への信頼を根底からゆるがす一大スキャンダルへと発展した。
(ミシュレのフランス史Ⅴ)

CIMG9725a

首飾り事件について、こちらの本ではジャンヌが主犯(主導)ではなく
王妃が関わっていた説を展開されていました。
ちょっとお下品な事も入っているので、王妃贔屓の方が読むと
イメージ的に、エエ~? てなるかも…かもかも。

この頃の王妃マリー・アントワネットについては
弱い者いじめ的な事はしないけれども、いたずらや悪ふざけが好きで
イタリア風の低劣でグロテスクな笑劇も好んでいたそう。
そのようなお芝居を実際の庭園で演じる形で、ロアン枢機卿をカモに
いたずらを仕組んだ感じですね。


ロアンに対しては彼を滑稽なものにする以外に悪意はなかった。
ラ・ヴァロアは、王妃が彼を騙し、もてあそんだあとは、彼を嫌わなくなり
おそらくは完璧に彼の友人になるであろうと考え、躊躇することなく
彼女の恩人に対する策略に加わった。
~略~
デシニー嬢が何者であったか、ラ・ヴァロアは明言してはいない。
彼女はこの娘を外国の男爵夫人ということにし、オリヴァ Oliva という名を与えている
(それはヴァロア Valois という語を裏返しにしたものだ)
~略~
ヴァロアは彼女をなだめ、言いふくめていた。
そして彼女がその小さな役割を上手に演ずることができるようにと、
『フィガロ』の芝居に連れて行き、お手本となる第五幕を見せた。

ヴァロアの裏返し…ってことになるんですか?この綴りで
あとフィガロの第五幕となっていますが、これ四幕の間違いですかね?
それとも当時は今と違う形だったのかしら?

密会の夜については、一般によく知られている流れと変わらないようで
簡単にまとめられています。
その後、ロアン枢機卿と王妃の密書のやり取りの際、王妃からの
手紙の贋作を作ったのはヴァロアの仲間。


あの莫大な報酬をラ・ヴァロア自身がオリヴァに提供する事など全くありえないことだ。
王妃だからこそ、ただの気まぐれのために大金をばらまくことができるのだ。
逢引の場所はヴェルサイユの森の中ではなく、鉄柵で閉ざされた〔チュイルリ宮の〕庭園である。
〔王妃の〕命令なくしては、夜間そこ〔チュイルリ宮の庭園〕に入る事はできない。

密会ごっこが行われた翌年、王妃は次男を出産。
精神的に不安定になっため精神療法士カリオストロのアドバイスをうける。
このカリオストロや、その知人たちを介して、宝石商が首飾りの話を持ち掛け
ラ・ヴァロアがロアンを説き伏せて、売買契約を結ばせた
引き渡しはヴァロア家で行われ、首飾りはロアンから王妃の従僕の手に渡る。
半年後、一回目の支払期限をむかえたものの代金は間に合わず
宝石商が宮内卿に訴え出て、事件が公に。ロアン逮捕、バスティーユ送致。

という流れで、首飾りは王妃の手へ。ほへ~

ヴァロア(ジャンヌ)の主張
首飾りは王妃が受け取ったが、付属している小さいダイヤは不要だったので
ロアンの命令で自分達夫婦がパリやロンドンで売却し、その代金を枢機卿に渡した。

ロアン枢機卿の主張
首飾り大小のダイヤを売ったのはジャンヌ。
自分は代金など受け取っていないし王妃も無関係。すべてジャンヌの仕業。


この時、司法は、ダイヤが売られたというロンドンで情報収集するにあたり
現地へ派遣したのが、にゃんと被告であるロアン一派の人達だったそう。
ぅゎ‐ぉ。それって何なのね~
問題を起こした側が「第三者委員会を設置します」とか言ってる
現在流行中?のアレコレを連想しちゃいましたですヨ~~。

裁判では、人々の様々な思惑が入り乱れた挙句
結局はロアン枢機卿も王妃(王家)も、王妃を敵視する勢力も
ヴァロアに味方する者はなく、ヴァロア自身も、自分を護るための
切り札と成りえる文書"ロアンから王妃へ""ロアンからヴァロアへ"
それぞれ宛ての手紙類を焼き捨てていた事が
自分の主張を証明できない失点となり、有罪の判決を得てしまいます。
てゆか、きちっと記録を提出しても無視されるんだから意味なかったかもも。。。

致命的だったのは、王妃を敵視する勢力が、裁判の時
ヴァロアの味方についてくれなかった事。
敵対勢力側からすると、ヴァロアは王妃の手先に見えたそう。

何やら、最後は筋書きの出来上がった形ばかりの裁判だったようで
読んでいると、だんだんジャンヌが可哀そうになってきまする・・・





つづく





 1 ミシュレのフランス史 

 4 首飾り事件その後



残暑どころか、ずずずっと猛暑進行中のこの夏

昨年よりも暑くないとか言われてたのは一体どこの話でしょ~。
特大台風さえ来なければマシだったのかしら?
いずれ届く電気料金のお知らせが怖いこの頃です。

怖いのとは違いますが、このお盆の私的トピックスをふたつ。


その1
姪っ子が氷上ミュージカル"氷艶-月光りの如く-"を見に行っておりました。
それもスクリーン正面のアリーナで観劇!なんということでしょぉ

知り合いママさんから行けなくなったチケを譲ってもらったそで
現在は関東在住&バイトで稼いでたからこそ行けたらしいのです。
スケートファンでも宝塚ファンでも誰のファンという事でもないのに
近いとはいえ、チケット取れない&めちゃ高なあのショーに
よく行ったなぁ~と感心してたら
「(大ちゃん)カッコ良かった」「可愛いかったよ」ですって。
んまぁぁぁぁぁぁぁ

楽日ショーの後、リンクではオールキャストの記念撮影があり
カメラマンは複数台でばしばし撮影。
終了後そのカメラマンさん、足元に置いていたカメラを
そのまま放置で撤収してしまったそう。
あららら忘れてるよ~と気づいた大ちゃんが追いかけたらしいです。
んもーなにそれなにそれ 想像できるじゃありませんか

良かったよ~楽しかったよ~と解説する大学生の姪っ子相手に
私なんか、おとなしくTV放送されるのを待ってるのにぃ~。
にくいわっ!えいえいえい
ふははははははははは
と、じゃれあったのが、このお盆の楽しい思い出でございました。



その2
ベルばら。なんとなくわかる。という人の言葉
「オスカルって女だったのか」

そそそそうなの?やっぱり男に見えるのー?
と、ちょっと笑ってしまいました。。。
雑談で、又聞きの知らない人のはなしなので、確かめようもありませんが
もしかしてウケ狙いだったのかな~?


22(5) 
・・・オトコ?



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