革命当時、渦中の人々が残した手記。
有名な証言は五万もある…という記録の中から
バスチーユ攻撃前夜からロベスピエール処刑までを
抜粋した手記をつないで構成した本。
フランス革命の目撃者たち
ジョルジュ・ペルヌー / サビーヌ・フレシエ 白水社
フランス近衛隊の連隊長は、普通はいつも元帥であった。
したがって命令権は、常に彼にあった。
しかし今回は、このポストに任命されたばかりのデュ・シャトレ公爵は
スイス近衛隊長のダフリ伯爵と同じく副指揮官でしかなかった。
ぇ…なんだかジェロさんぽいわぁ
と頭の中、土台がベルばらなので初っ端からつい脱線
ヴァレンヌ逃亡に同行した乳母マダム・トゥルゼルや
タンプル塔での王に最期まで仕えた従僕クレリ
当時14-15歳だった王女マリー・テレーズが記した手記など
いろいろな人の文章が次々繋がるので、これは誰目線?と
たまに迷う事はあったものの、手記チョイスのセンスはいい感じ 原書では、手記原文の綴りのまま掲載だそうで
日本語訳でも、マリー・テレーズ王女の文には子供っぽさがあり
原著の雰囲気が伺えました。
"ラ・マルセイエーズ"の登場や、亡命者たちのドイツでの記述もあり
この辺はもっとたくさん収録されていたらよかったのにな
1793年8月1日、夕食後マダム・リシャールは低い声で私に言いました。
「ロザリー、今晩私たちは寝ないよ。お前は椅子の上でお休み。
王妃がタンプルからこの牢に移されるんだよ。」
ということで、私がこちらの本を手に取ったのは
ベルばらロザリーのモデルである、ロザリーの手記が収録されていたから。
それともどこか他にも掲載されている本あったかな?
「王妃」「王妃様」と呼称が混じったり、時々時系列が前後したりと
文章の微妙な読み辛さが、逆に本物そのままで良いです。
あれ?でもこの人、実在ロザリーさんは文字を書けたのかしら?
それとも第三者が口述筆記で残したのかな?牢獄の管理人の下で働くことに最初抵抗があったロザリーさん。
始めは遠慮もあり距離があったようですが、王妃の気質に触れ変化。
カーネーション事件がおきた後、親切だった最初の管理人や衛兵は全て入れ替えられてしまい、王妃の世話で(密かに)親身になれるのは
自分だけということに。
ルボーに断ったその日以後、王妃は自分で髪を結うことに決めました。
彼女は、テーブルの上にあった残りの白いリボンを巻いたのを取り
胸の底に沁みるような悲しみと愛情のこもった調子で私に言われました。
「ロザリー、このリボンをお取り。私の想い出にしまっておいてちょうだい」
ベルばらにも登場したこのリボン。
手記ではこの直後、牢番に取りあげられちゃってました あーあ
牢番の行動は、意地悪や反感からではなく、臆病ゆえの保身。
前の晩、王妃は、公衆や裁判官の前に出頭することを知って
髪をよく似合うように、少し高く結い上げました。
また、ひだのある飾りでふち取られた寒冷紗の帽子に
箱の中に取ってあった二枚の垂れ布をつけました。
この喪の垂れ布の下に、王妃は上手に黒いクレープをつけましたが
これで美しい未亡人の帽子になりました。
死にに行く時には、王妃は垂れ布も喪章もないただの寒冷紗の帽子にしました。
でも履物は一足しかなかったので、黒い靴下と、私たちと
一緒に過ごされた76日間、形も変わらなければいたみもしなかった
黒い布製の靴をはきました。
一緒にいたのは約二ヶ月半…ですか。
わりと服飾系の描写を細かく残している印象ですが、女性だからかナ。
王妃はずっと王子のメダイヨンを首に吊るし大切にしていたようですが
処刑場へと向かう際にはどうしていたか、ロザリーにもわからなかったとか。
ん~この本に収録されていない手記部分、もしやあったりするかしら~?
私は、王妃に迷惑をかけたり、悲しい思いをさせたりしないよう
さよならも、おじぎさえもせずに王妃と別れました。
私は泣くため、そして神様に祈るために、自分の部屋に戻りました。