パリが沈んだ日
--セーヌ川の洪水史-- 佐川美加 白水社
パリ市の海抜35m以下の地域を"パリ低地"と呼ぶ。
昔々の大昔、セーヌ川が流れていたルート跡。
現在は全域にわたって盛り土が施され嵩上げ済み。
以前ブラタモリ(TV)で、タモリさんがパリの盛土を指摘していて
その時は「あんな平らな場所に、なぜ盛土が必要?」と
不思議に思った謎が、この本で氷解しました。
パリが水没するなんて微塵も思いませんでしたよ~ バスティーユ広場も低地に該当…と、なかなかに広範囲。
増水対策も兼ねて、かつての要塞は作られたみたい。
昔の絵図には自然な川岸が見えるけど、今は全て人の手が加わり
現在のパリ市内では天然状態の岸辺は見られないそう。
日本は梅雨や台風があるので、6-9月に降水量は上昇し
国土の急峻な地形から、増水・川の氾濫が短時間で起きやすいけど
フランスは逆。冬にかけて雨が上昇カーブを描く西岸海洋性気候で
雪解けが進む頃に、じわじわ洪水がおこるタイプ。
さて、ベルばらファンとしてはここで脱線し
本書の洪水データから18世紀後半の部分だけをピックアップ
オスカルさん生まれたての1756年1月。セーヌ川氷結。
スケートを楽しめるくらい、がっちり凍りついたそう。
40年分抜き出しただけなのに7回も洪水起きてた~~
近衛にいた頃、遭遇してるかな…と思ったけど
ジャルジェ家の館はベルサイユだから、そう影響ない?
パリにも別宅あったかなー?
オスカルさん死去した年の冬もセーヌ川が氷結。
氷の厚さは60cmあったそう。めっちゃ寒かったのネ
「洪水」は大変な事だけど「氷結」もこの時代、痛手な出来事。
食料など物資輸送路としてセーヌ川が使えなくなるから。
今の日本でも、災害にあった人なら覚えがあるでしょう。
スーパーからものが消えたり、身動きがとれなくなる不安。
こちらの書籍、19世紀におきた洪水のドキュメンタリー風の章など
興味深かったけど、ユニークだったのは中世の川船のこと。ワインや馬草等、様々な物資が日々往来していたセーヌ川。
人力で操る舟のほどんどは川を下りパリへきていて
川を遡る曳舟もあったものの、費用がかさむため、利用しても
なお儲けが残る商材の運搬用に限られた。
では下ってきた舟のその後は?といえば、ほとんどが使い切り。
荷を積んだ舟は、到着後そのまま川岸に繋がれ倉庫化。
荷がなくなったら陸に引き上げ解体し、燃料用の木材になった。
おぉ~完璧 最後まで無駄なく利用し完結してたのネ セーヌの洪水は過去のものではなく、その脅威は続いていると認識。
現在パリに点在する美術・博物館では、洪水時における収蔵品等
大移動の非常用マニュアルが策定されてあるそうです。ちゃんとしてる~♪
文化を大切にしている国としてあるべき姿ね。
最近でいえば、映画 “ 岸辺露伴 ルーヴルへ行く ” 作中で
『いざという時、美術品を搬送する役目を常駐の消防士が担う』という
場面がありました。思わず、おお!と背筋が伸びましたわ。おほほのほ